この時に、わたしは、いろんな風景を見た。「絶対に木村さんに付いて行きます」なんて言っていた人たちに限って、「家庭もあるし・・・」と、手のひらを返したように、木村さんから離れて行った。木村さんは、「まっ、8割の人は、離れて行くだろう。それでいい。残りの2割の人とまた何かやればいいんだ」と、笑っておられた。
当然のことだけど、「大谷くんも会社を辞めてくれ」と、いう話になった。わたしは、いいけど、3月までは、リーダーズカレッジもある。仕事の区切りだけは、つけさせてくれるように頼んだ。そして、それは、一応、了承された。が、わたしが、東京に行っている時にデスクの女性から携帯に電話があった。
「大谷さんがいないのに、急にオフィスのレイアウトを変えることになって・・・」
「じゃあ、わたしの荷物をまとめてわたしのデスクに置いておいて」
「それが、大谷さんのデスクが、図面に無いんです」
「どういうこと?」
完全な林社長のわたしへの嫌がらせだった。「とりあえず、そのへんのダンボールに詰め込んで、ほっといて」と、言うしか無かった。
周囲のみんなは、わたしが、つらくて泣いていると思っていたらしい。ところが、結構平気だった。人間、やりたいことが明確だと、少々のことは、大した問題でなくなる。「デスクくらい無くても、何とかなるわ」と、思っていた。それよりも、その時のわたしの頭の中は、地域活性と、人材活性の仕事でいっぱいだった。
とりあえず、今まで作ったソフトだけは、持って出られるように交渉しなきゃ・・・と、思っていた。
つづく
最終話