第7回:捨てるドキドキ、始めるワクワク

『捨てるドキドキ、始めるワクワク』

 大阪で立ち上げたリーダーズカレッジだけでもなかなか上手く行かないで、右往左往していたのに、当時、キヤノン労働組合の委員長をしていた橋元くんが、言った。「キヤノン労働組合で応援するから、東京でもその『リーダーズカレッジ』をやったら?大谷さんのやっていることは、絶対にこれからの時代に必要だよ」

 橋元くんとわたしは、わたしがキヤノン労働組合に講演に行かせてもらったことが縁で親しくなって、よく一緒にご飯を食べたりして、常に情報交換していた。お互いに刺激し合える友人って、本当に財産。彼に背中を押されて東京でも「リーダーズカレッジ」をやることにした。


 そして、大阪の一年目と同じように、またまたこのリーダーズカレッジに振り回される日々になった。営業、企画、人のフォローと振り回されることは、いっぱいあるのに収支は追いつかない。いくら、「人材育成が大切」と、説いても、イベント会社である我が社のメンバーには伝わることがなかった。そのうち、「社長である大谷さんだけが好き勝手なことをやってないで、もっと、自分の会社のことを見てください」と、言われるようになった。


 当然のことだった。そして、わたしは、決心した。イベント会社の社長なら誰でもできる。幸いにも、お客さんもわたしじゃなく、ちゃんと会社に付くようになっていた。会社を後輩に譲るなら、良い時のほうがいい。それに、今、わたしがもらっている役員報酬を捨てたら、他に若い子が二人は雇える。そのほうが会社にとっても、みんなとってもいいはず。


 そして、わたしは、10年社長をした企画会社プランニングオフィスSMSの社長を降りた。そして、吉本興業の契約プロデューサーとして、本気にリーダーズカレッジをやることにした。この時、ずっと応援してくださっていたのは、木村政雄元吉本興業常務取締役だった。今までの大谷由里子を捨てて、新しい大谷由里子へのチャレンジだった。


つづく

第8回:ヤンキーが街の主役に